親父の歴史


令和4年6月2日 幸智組の創業者である 父小田四郎が永眠致しました


コロナ禍にも関わらずたくさんのお客様、友人、そして幸智組を巣立っていった若衆が最期のお別れに来てくださいました。葬儀当日はバタバタしており、ろくにご挨拶も出来ないままだったことが悔やまれてなりません。この場をお借りして御礼申し上げます。


 


佐賀県で生まれ、長崎県で育った父は中学を出てすぐに当時鳶職人だった父、兄の影響で鳶の世界に入ったそうです。76歳で亡くなったので職歴は61年となります。当時はもちろん今ほど安全に対しての意識もなく、保護帽や安全帯、親綱などは皆無だったと聞きました。足場といえばほぼ丸太足場で、番線の出来不出来で生死を分けるといっても過言ではないという時代でした。僕自身も34年前にこの仕事を始めた時は特に番線の不出来はかなり厳しく叱られたことを思い出します。



昭和56年 妻貞子の大病をきっかけに長崎を離れ兵庫に移住しました。約4年間で地盤を固め、昭和60年(1985年) 40歳で幸智組を立ち上げました。


その3年後、学生だった私はアルバイトという形でこの仕事に初めて携わりました。当時は職人さん2人と2tトラック1台で戸建住宅の丸太足場をひたすら回っていましたが、人手が足りない時は母も駆り出されていました。暗闇の中でトラックのヘッドライトを頼りに父と母と私の3人で丸太足場を解体したのを覚えています。



年々職人さんも増え会社も大きくなっていきます。順調に業績を伸ばし、10年の時を経て法人化。

「有限会社幸智組」の設立です。この頃から業務内容を足場一本に絞り現在に至ります。


昔気質の人でした 仕事ではめっちゃ怖く、普段は情に厚い涙もろい人でした

晩年父は病床から「けがをするな!」「けがをさせるな!」と毎朝声掛けしてくれました。みんなが毎日笑顔で家族のもとに帰る。一番大切な事だなって思います。今日も一日ご安全に!


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